運動会や体育祭では、特に徒競走などの競技の前後の駆け足での入退場や競技中に、定番化した幾種類かの曲がよく流されます。
この時の曲は、日本全国津々浦々の小中学校や自治体でもほぼ共通していますが、そもそもこうした曲は、元は誰が作曲したどんな作品なのでしょうか。
元々生演奏だった、運動会での行進曲や競技BGM
ところで、今のようなタイプ、特に「地域で楽しむ参加型イベント」としての日本の運動会のルーツは、明治初期にまで遡ります。
そして、運動会で行進曲や競技の際にBGMを流す文化の歴史は、大正時代頃にまで遡ることができます。
当時は、音源(蓄音機やレコード)は高級品であって且つ屋内で使うものであり、運動会のような屋外のイベントには適さないものでした。
そのため、当時の運動会ではどのように音楽を流したかというと、何と楽団による生演奏だったのです。
当時、映画は無声映画であり、映画館はセリフやナレーションを喋る弁士や、BGMを演奏する楽団を抱えていました。
こうした映画館付きの楽団が、このような地域イベントとしての運動会にも呼ばれ、BGMなどを生演奏したのでした。
そのため音楽を流す運動会は、映画館があるような、ある程度都市化した街(あるいはそうした街の極めて近隣圏)の運動会に限られていました。
彼らが演奏した当時の運動会の曲は、筆者は不勉強なためわかりませんが、とにかく大正期は、「運動会といえば行進曲やBGMを流す習慣」の始まった時期だといえます。
そのようにして、日本に根付いていった「運動会で行進曲や競技BGMを流す文化」ですが、現在では、いわゆる徒競走の曲といえばこの3曲がメジャーです。
オッフェンバック『天国と地獄』序曲
「♪カステラ1番電話は2番」という替え歌が、老舗洋菓子会社のCMソングになっていることでも有名な曲です。
この曲は、19世紀に活躍したドイツ出身のフランス人作曲家、ジャック・オッフェンバック(1819-1880。ドイツ語読みの「ヤコブ・オッフェンバッハ」と書かれることもあります)作のオペレッタ(一般にオペラよりも喜劇的なストーリーの歌劇)『天国と地獄』のオープニング曲です。
この『天国と地獄』は、ギリシャ神話をパロディ化した作品です。
ロッシーニ『ウィリアム・テル』序曲
いかにも勇ましく、且つ軽快な雰囲気の曲です。
これも様々に替え歌にされて、色々な企業のCMソングになってきました。
この曲もオペラ『ウィリアム・テル』のオープニング曲で、19世紀のイタリアの作曲家ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)の作です。
『ウィリアム・テル』は、ハプスブルク王朝による圧政に抵抗したとされる、中世のスイスの伝説の英雄を主人公とする物語です。
ネッケ『クシコス・ポスト』
これも軽快でスピード感のある曲です。
19世紀〜20世紀初めのドイツの作曲家ヘルマン・ネッケ(1850-1912)の作曲した、器楽曲です。
タイトル『クシコス・ポスト』は、ハンガリー語とドイツ語を合わせた造語で「郵便馬車」であるとされていますが、一方「曲芸乗馬」を指すという説もあります。
ネッケは実は多くの曲を作っていますが、ほとんどが練習用の曲であり、バイエルのような他の作曲家の手になる練習曲ほどはメジャーにならなかったので、結果としてこの『クシコス・ポスト』が、現在彼のほぼ唯一世間に親しまれている曲です。
なお、この曲は一部の文化圏では、「クリスマスの曲」とされるそうです。
最後に薀蓄1点
この3つの曲のうち、2曲(『天国と地獄』序曲・『ウィリアム・テル』序曲)はオペラあるいはオペレッタの序曲ですが、実はもう1つ共通点があります。
それは、徒競走などの競技BGMとして流されている部分は、曲のあくまで一部であり、更にいうとクライマックスの部分である、ということです。
運動会の他にも、このような「何となく親しまれている」クラシック音楽の作品は、案外多いものです。
そうしたことにも時には興味を持つと、世界が広がることでしょう。